交響曲第9番 Op.125 「合唱付き」 解説その③

パンフレットに掲載した曲紹介、この第3弾で最後となります。
戦後の世界的な風潮とそれに対する秀麿の想いとは。
そして結びの章となります。

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5. 編曲ブームから原典主義へ
第二次世界大戦後の時代になると、編曲ブームは落ち着き、世界的にベートーヴェンはオリジナルでやるべきであるという、原典主義の風潮となる。作曲家のオーケストレーションが下手だという認識が次第に薄れ、むしろ、作曲者の芸風であり作風であるから、われわれ凡才が手を加えて魅力を失わせてはならない、という風潮である。「モノクロはモノクロに過ぎない」という制限の下で余計な情報が削ぎ落とされているから映えるという主張であろう。

戦後には原典主義が主流になっていくものの、必ずしも楽譜に全く手をつけないという訳ではなかったようである。
近衞秀麿より10年後に生まれ活躍した指揮者朝比奈隆は、「原典主義」として知られるが、慣用的な変更を常識的な範囲内で採り入れている。完璧な原典主義であるとか、反対に完全に編曲するなど、そこまで身構える必要はないのだという。

秀麿は、原典主義に対し「ノンセンス」であると批判している。それは、3項「第九の抱える楽譜の出版上の問題」で取り上げたように、現在私たちが手にする楽譜が、そもそも作曲家が記した原曲でない、不備のあるものだったからである。
こうした事情があった中、原典主義における「楽聖の原譜に忠実な演奏」とだけ言えば聞こえはよいものの、それは楽譜へ向き合うことをやめた素人だましのノンセンスだ、と秀麿は言うわけである。指揮者は、自らの解釈により独自のエディションを持たなければならない、そして自らの責任を持って演奏をするべきであると。
その後、1947年から1948年にかけて、秀麿は東宝交響楽団にて近衞版によるベートーヴェン・チクルス5を行った。

6. 結びに

今回の近衞版の演奏によって、編曲の是非を論ずることを目的にすることではなく、忘れ去られてしまった歴史を今一度振り返ることで、現代のオーケストラの立ち位置を改めて確認するきっかけとなり、近衞秀麿の再評価へと繋がればと強く思うところである

「編曲版=原典版に対する対義語」のように捉えられることが多いが、編曲は「楽譜に手を加えず、作曲者の意図を忠実に」という原典主義とアプローチこそ異なるものの、目的を異にするものではないことを我々は強く主張したい。また同時に、編曲は、当時実力の劣る日本のオーケストラ事情において、少しでも日本国民に西洋音楽を届けたい」という秀麿の思いも込められていた。編曲ブームから原典主義へ、そしてピリオドアプローチ6という新たなオーケストラ表現を追求する現代へ至る、歴史の一つとしての編曲版を味わい楽しんでいただきたい。

ワインガルトナーは、「もしも四管が使い得ないのならば第九交響曲の上演は見合わせた方がよい」とさえ断言している。秀麿も自著において、「《英雄》や《第七》や《第九》のある部分を四管の豊かな響きで経験したことのあるものには、同曲の二管での古式の演奏が、どうしてももの足りなく感ぜられるであろうことはやむを得ぬ次第であるという他はない」と力強く記している。およそ半世紀ぶり7であろう《近衞版》の第九がどう響くのか、一人の奏者としても楽しみである。


5. [交響曲全曲の連続演奏会]
6. [楽曲の作曲当時の奏法や様式を踏まえた観点からの演奏手法。アーノンクールやノリントンを代表とする]
7. [後に1980年代に2度アマチュアオーケストラで演奏されていたことが判明した。表立っての演奏は少なかったものの、取り上げられたことが数度あったようである。]

本編としてはこれで終わりですが、
この後もまた補足など、ご紹介したいと思います。

交響曲第9番 Op.125 「合唱付き」 解説その②

今回は、《近衞版》第九について、少し踏み込みます。

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4. 《近衞版》第九
近衞秀麿は、第34・38・39代総理大臣である近衛文麿の弟にあたり、戦前からヨーロッパへ渡り、西洋音楽を学んだ最初の指揮者の一人である。新交響楽団2や東宝交響楽団3を立ち上げ、日本におけるオーケストラの普及に尽力した。
ヨーロッパに留学していた1930年11月、秀麿はフルトヴェングラーとベルリンフィルのリハーサルを聴き、フルトヴェングラーと言葉を交わしている。秀麿は、フルトヴェングラーの指揮したシューマンの交響曲第四番に最大限の賛辞を呈し、フルトヴェングラーは、「シューマンの立派な管弦楽曲は、最も不幸な状態のまま放置されている」「我々は各自我々自身の改編を有っているべきだ。」と答えた4。秀麿は、まさにこの時フルトヴェングラーの指揮棒の魔術の一端を見つけた。身振り手振りのみではないのだと。以後、秀麿は生涯編曲に力を注ぐこととなる。

《近衞版》は、近衞秀麿が演奏会を行う度に手を加え試行錯誤され作り上げられたものであり、同じ楽曲においても、様々な《近衞版》が存在する。
特にベートーヴェンの交響曲は全曲に手を加え、その中でも第九は生涯をかけて研究の歩調を緩めることはなかった。《近衞版》の第九のスコアには1946~1962年と記されており、パート譜や販売されているCDの録音とも細部が異なる部分があることからも、常に推敲を重ねていたことが伺える。
《近衞版》もワインガルトナーの影響を色濃く受けており、多くの部分でその指摘を採用している。全体的な特徴を挙げると、フレーズへの細かなクレッシェンド・デクレッシェンドの指示、音量記号の追加、盛り上がり所で埋もれがちな木管のフレーズを倍の人数の木管楽器で演奏したり、弦のフレーズの輪郭を明確にするために木管楽器を重ねたり、更にはホルン6本にメロディを追加する箇所などがある。4楽章のチェロ・コントラバスにより演奏される印象的なレチタティーヴォにはヴィオラも重ねられており、さらに重厚となっている。いずれも曲のフレーズ感やメロディを浮き立たせる様な工夫をしていることが見て取れる。

一方、フルトヴェングラーやトスカニーニ、生涯の師エーリヒ・クライバーの使用したスコアを写譜・管理していた秀麿ならではの工夫された仕掛けも施されている。ここでは顕著な例を2つあげたいと思う。第一は、1楽章展開部の192小節目から始まる1stオーボエを中心とするカデンツァにおけるリタルダンドを削除し、2/4拍子を3/4拍子として1.5倍の音価にすることで対処していることである。これはリタルダンドの解決方法として採用されたのではなく、むしろ次の小節のa tempoの解決方法として取り入れたと解釈することが妥当であろう。このカデンツァは大変表情豊かなフレーズであるため、しばしばそのセンチメンタルさを引きずりa tempoが見落とされがちであることをワインガルトナーが指摘している。このことに対し、秀麿はリタルダンド部分を設計し直すことで、構造的にa tempoせざる得ないように作り上げた。音楽評論家の宇野功芳は、この部分に対し「流石にやりすぎだ。」と言及している。確かに若干システマチックな感も否めないが、リタルダンドの解決としか解釈しなかったのかもしれない。第二に特徴的なのが、終楽章の終盤に差し掛かった二重フーガ部分の金管楽器パートの改編である。原典では部分的に音が歯抜けになっている箇所がいくつかあり、これは当時の楽器で演奏が困難だったため省略されたと考えられる。この抜けている音をどう対処するかが問題視されていた中で、秀麿は単に音を補充するのではなく、大胆に全部書き直すことにより見事なオルガン・フーガへ仕上げている。
宇野功芳は、近衞版の第九についてこの様な批評をしている。

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(近衞版は)《無理をしなくても鳴る様なオーケストレーションの改訂》なのである。だから、《近衞版》を使って、見境なく力演するととんでもないことになる。ティンパニなど、雄弁すぎてベートーヴェンではなくなってしまう。トロンボーンも同様。そうではなくて、吟味された音でまろやかに演奏すると最高に潤沢な響きが得られる。
(中略)
その良い例が「第9」で、素っ気ないほどの古典的解釈である。
(中略)
ギクシャクとたベートーヴェンの語法を自然なものに直す努力を傾けているのである。その適否については各人が考えて欲しいと思う。

~~ 宇野功芳「蘇る幻の名演」学研『近衞秀麿の世界』CDライナーノーツより

ワインガルトナーや近衞秀麿の修正に関する指示を見ると、しばしば「しかもベートーヴェン的な響きは少しも損なわれないですむ」という文言があり、ここからも作曲者に対する畏敬の姿勢が見て取れる。

 


2. [1926年に設立。NHK交響楽団の前身であり、近衞秀麿が初代指揮者を務めた]

3. [1946年に設立。東京交響楽団の前身であり、新交響楽団と同じく近衞秀麿が初代指揮者を務めた]

4. [「シューマンはオーケストレーションが不得手である。」としばしば議論となる。シューマンの交響曲第三番「ライン」にも近衞版が残されており、当団の第7回定期演奏会で取り上げ、好評を博した]

続きはまた次回、お楽しみにどうぞ。

交響曲第9番 Op.125 「合唱付き」 解説その①

2017年2月11日(土)、第九特別演奏会はおかげさまで盛況のうちに終演いたしました。
ご来場いただいた皆様、関係各所の皆様には御礼申し上げます。

今回は、演奏会で配布したパンフレットに掲載した曲紹介を公開します。
当団の団員が力を入れて作成しまして、パンフレットにしてはかなり読み応えのある内容となっております。今回は途中までご紹介いたしますので、ぜひご覧いただければと存じます。

交響曲第9番 Op.125 「合唱付き」
近衞秀麿編曲版について

1. はじめに
当団は今まで近衞秀麿編曲版を用いてベートーヴェンの交響曲第7番(第3回演奏会)、シベリウスの交響曲第2番(第4回定期演奏会)、シューマンの交響曲第3番第「ライン」(第7回定期演奏会)の演奏をしてきた。その都度、近衞秀麿版についての紹介をしていたものの、なぜ秀麿が編曲していたかまで触れることまではできていなかった。

今回は秀麿が編曲に特に力を入れ、かつ編曲を要した《第九》の演奏会に取り上げる機会にあわせ、編曲の歴史的背景を知ることにより、秀麿の編曲に対する情熱の源泉を少しでも明らかにしたい。

2. ベートーヴェンの交響曲演奏
ベートーヴェンは、当時まだ娯楽音楽に近かった交響曲の作曲に力を入れ、常に新しい手法を試みることで管弦楽における新たな表現の可能性を模索し続けていた。それは、ハイドンが108曲、モーツァルトがおよそ50曲の交響曲を書き上げたのに対し、ベートーヴェンがわずか9曲しか作曲していないことからも、1曲1曲に情熱を注いでいたことが明らかである。

あくなき表現の探求の末、やがてベートーヴェンの楽想は、しばしば当時の楽器の性能を超えることとなった。当時の楽器では演奏不可能のため、やむを得ず急にメロディから外れるなど、演奏を一部休ませたり音を1オクターブ低くするといった対処がされた箇所が見受けられる。

こうした、ベートーヴェンが当時の不自由な楽器の制約の中で作曲した楽曲を、近代のオーケストラでどう演奏するかというテーマは、ワーグナー以来の問題となっていた。
近衞秀麿が活躍した戦前のヨーロッパは、後期ロマン派が円熟しきった時代である。当時は大作曲家がやむを得ず断念した表現を、楽器の性能とオーケストレーション1の技術向上によって、原曲の美しさをモノクロからカラーへと引き出すことが指揮者の教養かつ求められていた能力であり、正義とされる時代であった。秀麿はヨーロッパ留学からの帰国後においても、その時代の命題・姿勢を貫くこととなる。

3. 第九の抱える楽譜の出版上の問題

第九の楽譜には多くの疑問点があり、作曲者の意図なのか誤りなのかが不明な箇所が散見される。これは、楽譜資料が膨大な量にのぼることが要因の一つである。ベートーヴェンの自筆スコア、各楽器のパート譜面の印刷底本となった写譜師による筆写譜、プロイセン王に献呈した筆写譜等々、所蔵されている場所も異なる。更に、ベートーヴェンが悪筆であったことや、略字が多く使われていたこと、狭いスペースに強引に書き込まれていたり、時間的に切迫していたことから、出版譜には自筆譜から写す際に写譜師によって大量に生じた誤写が反映されていた。1826年にショット社から出版された後、1996年にベーレンライター社から批判校訂版が出るまでの170年にわたり、歪められた記録による楽譜が使われていたのである。

これらのことから、第九の楽譜には当時の楽器の技術上やむを得ず対応したであろう箇所と、出版上のミスという異なる2つの問題点を抱えていることが明らかとなる。

〜〜
それ故に、百年来今日までの真に偉大な指揮者達は如何にして、ベートーヴェンの精神に、その意図に忠実ならんかに腐心しきったのだ。如何なる手段の改善によって、その不朽の楽想の中に「劇的」なものを掘り当て、その詩を生かすべきかの研究と精進に、今日に至るまで不断の努力がなされて居るのである。門外漢は何故にそんな努力が必要かをいぶかしく思うかもしれない。
〜〜 近衞秀麿(1950)『わが音楽三十年』改造社

当時の「真に偉大な指揮者達」は、自ら資料を研究し、細かい齟齬に対し、自らの答えを導き出すことで対処し、各々のエディション(編曲版)を作り上げていた。そして、近衞秀麿が自ら編曲したものが、近衞版と呼ばれることとなる。


1. [「管弦楽法」ともいう。音楽上のアイディアを、最も合理的かつ効果的な方法で管弦楽団で表現する手段。(伊福部昭)]

 

今回はここまでです。続きはまた後日ご紹介いたします。
どうぞ、お楽しみに。

「幻の」近衞版第九

近衞版は、近衞秀麿が演奏会を行う度に手を加え試行錯誤され作り上げたものであり、同じ楽曲においても様々な近衞版が存在します(演奏可能な形で現存しているのはごく僅かなのですが……)。

今回当団が取り上げる「近衞版 第九」について調べると、秀麿が指導をしていた京都大学交響楽団の練習所の火災により焼失され、もう二度と実演は不可能である……と多くのウェブサイトや本に書かれております。
長年焼失したとされていた「近衞版 第九」ですが、秀麿の息子の秀健より当団音楽監督が譲り受けた資料用のものが残っており、スコアとパート譜を整備し、今回の演奏会でお披露目できる運びとなりました!

なぜ焼失されたことになっていたのでしょうか?(そもそも火災の被害にあわなかったのでしょうか?)
もちろん見つかったのは思いがけない発見で、こうして演奏に漕ぎ着けることができることは大変幸せなことです!

ただこの事は、近衞版の第九が「複数あった」と仮定するとすんなり合点がいきます。
第九の近衞版は1946〜1962年と16年の歳月を経て完成させられており、その間においても演奏の都度に推敲を重ねていたとするならば、2つ3つと原本があっても不思議ではありません。
たしかに「京都大学にあった近衞版」の第九は焼失されたものの、ちがうバージョンの近衞版が残っていた。こう考えると、何ともシンプルな話ではないでしょうか。

そんな焼失したはずの「幻の」近衞版第九が、数十年の時を経て演奏されることとなります。
一体どの様に鳴り響くのか、、2月11日の東京芸術劇場へ、ぜひ聴きにお越しください!

近衞版「ベートーヴェン / 交響曲第9番」

近衞版は、近衞秀麿が演奏会を行う度に手を加え試行錯誤され作り上げたものであり、同じ楽曲においても様々な近衞版が存在します(演奏可能な形で現存しているのはごく僅かなのですが……)。

特にベートーヴェンの交響曲は全曲に手を加え、その中でも第九は生涯をかけて研究の歩調を緩めることはありませんでした。
近衞版の第九のスコアには1946〜1962年と記されており、パート譜や販売されているCDの録音とも細部が異なる部分があることからも、常に推敲を重ねていたことが伺えます。

音楽評論家の宇野功芳は、近衞版の第九についてライナーノーツにこう記しております。


(近衞版は)《無理をしなくても鳴る様なオーケストレーションの改訂》なのである。だから、《近衞版》を使って、見境なく力演するととんでもないことになる。(中略)そうではなくて、吟味された音でまろやかに演奏すると最高に潤沢な響きが得られる。
(中略)
その良い例が「第9」で、素っ気ないほどの古典的解釈である。
(中略)
ギクシャクとしたベートーヴェンの語法を自然なものに直す努力を傾けているのである。その適否については各人が考えて欲しいと思う。

編成はホルンが6本の木管四管編成にピッコロ、コントラファゴットが加わり、しかも本来4楽章から使用されるピッコロとコントラファゴット、トロンボーン(2楽章の一部あり)が1楽章から使われております。
いわゆる原典版と比較すると大胆に音符が加えられている箇所があります。

ベートーヴェンの研究家であり大指揮者だったワインガルトナーは著作において「もしも四管が使い得ないのならば第九交響曲の上演は見合わせた方がよい」とさえ断言しています。
そして近衞も「<英雄>や<第七>や<第九>のある部分を四管の豊かな響きで経験したことのあるものには、同曲の二管での古式の演奏が、どうしてももの足りなく感ぜられるであろうことはやむを得ぬ次第であるという他はない」と力強く記しています。

一体どの様な第九が鳴り響くのか、来年の2月11日の東京芸術劇場にて、ぜひご体験ください!

近衛版「シューマン / ライン」

第7回定期演奏会で取り上げた近衞版のラインについて、当日配布した解説をご紹介します。

1楽章冒頭では音符を多く加えてあり、いきなり強烈なハーモニーが響きます。ヴィオラには他の楽器よりも飛び出して演奏する前打音も加えられています。楽器の追加により重厚な印象も受けますが、想像より重く感じさせず、オリジナルとはまた違った曲の広がりを感じさせてくれます(ライン川流域をローレライ上空から眺める風景の様な印象さえ受けます)。さらに弦楽器でのメロディー担当を増やし、オリジナルでの埋もれがちな部分を自然に引き出している部分が多いことも特徴です。51小節目=開始1分頃では、ヴァイオリンを模倣する後追いのフレーズにホルンを加えており、スムーズな流れとなっております。

2楽章では大幅な改訂はみられませんが、テンポの指示を追加して緩急をつけて曲の表情を表しやすくしています。

3楽章の冒頭部分ではクラリネットのメロディーにホルンが追加されています。この楽章もテンポ指示の追加により非常に緩急がつけやすくなっており、聴いていて飽きさせません。3楽章の最後の音が響いた後は、小休止を挟まずそのまますぐに4楽章へ流れて行きます。

4楽章はオリジナルでは4/4拍子となっているのですが、4/2拍子とすることで一歩一歩を踏みしめるような、大聖堂の雰囲気を表現しています。楽章後半ではテーマをホルンで違和感無く追加されています。

5楽章では冒頭の木管楽器を削除し、遠くから聞こえるカーニバルの音を軽快に表しています。楽章中に出てくる4楽章のテーマを弦楽器に管楽器を追加してより浮き出るようにしている箇所もあります。この楽章もまたテンポの指示を追加して緩急をつけてあり、クライマックスでは細かく指示され、盛り上げ効果抜群です。

“近衛版”とは

近衞秀麿は、総理大臣近衞文麿の弟にあたり、戦前から西欧へ渡り西洋音楽を学んだ最初の指揮者の一人です。NHK交響楽団や東京交響楽団の前身を立ち上げ、日本におけるオーケストラの普及に尽力しました。
近衞の手が入った楽曲を一般的に近衞秀麿編曲版、「近衞版」と称しています。オリジナルの楽譜と比べ、多くの近衞版では楽器が追加されています(反対に、小さな楽団でも演奏できる様になっているものもあります)。曲によっては管楽器が2管編成から4管編成になっているなど、現代の大規模なオーケストラに合わせて、また、楽器の性能向上にも考慮して手を加えている部分があります。
第7回定期演奏会で取り上げたシューマンの3番では、木管楽器が2管編成から3管編成に増補、ピッコロ、バスクラリネット、イングリッシュホルン、コントラファゴットが加えられ、金管楽器ではチューバが追加されていることで、オーケストラ中の最高音と最低音が拡張されています。

近衞版では随所に音量やテンポの指示が細かに書き加えられています。基本的なことを書き記してある箇所もあれば、表現意欲の表れにより書き加えられている箇所もあります。伸ばしている音は段々と小さく、上昇形には段々と大きく、フレーズの始まりと終わりの音量指示。時には譜面が簡略化されていたり、メロディーが異なる楽器に置き換えられていたりするところも見られます。音が薄くなりがちな部分にはハーモニーの追加や楽器での補強、曲の流れの中で自然に山場が作れる様なテンポの指示などが多々加えられています。
シューマンが好んで歩いたライン川沿岸を各楽章に当てはめるとすると、1楽章はローレライの風景、2楽章はコブレンツからボンへ、3楽章はボンからケルンへとつづく風景、4楽章はケルンの大聖堂、5楽章はデュッセルドルフのカーニバルの様子など……色彩感を押し出した近衞版では、ライン川の流れをより鮮やかに感じられます。

かつて、原典主義の朝比奈隆が「楽譜に手をいれるのはどうか。」と言ったのに対して、近衞は「あれは下手な指揮者が下手なオケを振っても、ちゃんと鳴るようにしただけですよ。」とこたえたという逸話が残っていますが、自身は近衞版を学生オケのみらずプロのオケでも生涯使っていました。
実際に近衞版の楽譜を前に演奏に取り組むと、基本的なオーケストラ演奏の教則本の様な印象を受けます。