パンフレットに掲載した曲紹介、この第3弾で最後となります。
戦後の世界的な風潮とそれに対する秀麿の想いとは。
そして結びの章となります。
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5. 編曲ブームから原典主義へ
第二次世界大戦後の時代になると、編曲ブームは落ち着き、世界的にベートーヴェンはオリジナルでやるべきであるという、原典主義の風潮となる。作曲家のオーケストレーションが下手だという認識が次第に薄れ、むしろ、作曲者の芸風であり作風であるから、われわれ凡才が手を加えて魅力を失わせてはならない、という風潮である。「モノクロはモノクロに過ぎない」という制限の下で余計な情報が削ぎ落とされているから映えるという主張であろう。
戦後には原典主義が主流になっていくものの、必ずしも楽譜に全く手をつけないという訳ではなかったようである。
近衞秀麿より10年後に生まれ活躍した指揮者朝比奈隆は、「原典主義」として知られるが、慣用的な変更を常識的な範囲内で採り入れている。完璧な原典主義であるとか、反対に完全に編曲するなど、そこまで身構える必要はないのだという。
秀麿は、原典主義に対し「ノンセンス」であると批判している。それは、3項「第九の抱える楽譜の出版上の問題」で取り上げたように、現在私たちが手にする楽譜が、そもそも作曲家が記した原曲でない、不備のあるものだったからである。
こうした事情があった中、原典主義における「楽聖の原譜に忠実な演奏」とだけ言えば聞こえはよいものの、それは楽譜へ向き合うことをやめた素人だましのノンセンスだ、と秀麿は言うわけである。指揮者は、自らの解釈により独自のエディションを持たなければならない、そして自らの責任を持って演奏をするべきであると。
その後、1947年から1948年にかけて、秀麿は東宝交響楽団にて近衞版によるベートーヴェン・チクルス5を行った。
6. 結びに
今回の近衞版の演奏によって、編曲の是非を論ずることを目的にすることではなく、忘れ去られてしまった歴史を今一度振り返ることで、現代のオーケストラの立ち位置を改めて確認するきっかけとなり、近衞秀麿の再評価へと繋がればと強く思うところである
「編曲版=原典版に対する対義語」のように捉えられることが多いが、編曲は「楽譜に手を加えず、作曲者の意図を忠実に」という原典主義とアプローチこそ異なるものの、目的を異にするものではないことを我々は強く主張したい。また同時に、編曲は、当時実力の劣る日本のオーケストラ事情において、少しでも日本国民に西洋音楽を届けたい」という秀麿の思いも込められていた。編曲ブームから原典主義へ、そしてピリオドアプローチ6という新たなオーケストラ表現を追求する現代へ至る、歴史の一つとしての編曲版を味わい楽しんでいただきたい。
ワインガルトナーは、「もしも四管が使い得ないのならば第九交響曲の上演は見合わせた方がよい」とさえ断言している。秀麿も自著において、「《英雄》や《第七》や《第九》のある部分を四管の豊かな響きで経験したことのあるものには、同曲の二管での古式の演奏が、どうしてももの足りなく感ぜられるであろうことはやむを得ぬ次第であるという他はない」と力強く記している。およそ半世紀ぶり7であろう《近衞版》の第九がどう響くのか、一人の奏者としても楽しみである。
5. [交響曲全曲の連続演奏会]↩
6. [楽曲の作曲当時の奏法や様式を踏まえた観点からの演奏手法。アーノンクールやノリントンを代表とする]↩
7. [後に1980年代に2度アマチュアオーケストラで演奏されていたことが判明した。表立っての演奏は少なかったものの、取り上げられたことが数度あったようである。]↩
本編としてはこれで終わりですが、
この後もまた補足など、ご紹介したいと思います。